なぜ俺は(もともと町山氏の反トランプ一辺倒の言論に反論したかったにもかかわらず)町山氏に絡みに行って撃退されたミュージシャンの側にムカついているのか


こんな事言ってるから「またQアノンか?ネトウヨ文化人多過ぎだろ」とか思ったらそうじゃなく、トリニティとかのムカつくリベサヨ出羽の守リツイートしてトランプ支持者をバカにして笑ってんの。
このミュージシャンも「リベサヨ」なんだわな。
ただ、こういう考え方で「バカにして笑ってる」ってのは、要するに他人事だから笑ってられるだけなんだろうな。
リベサヨなんてしょせんそんなもんだろう。


町山氏にもいろいろ文句言いたい事はあるんだけどこの謎のミュージシャンの言いぐさが不快すぎてそれどころじゃなくなってきた。
アメリカに住んでる町山氏にとっては「他人事」じゃありえないからな。
そういう意味では遠い日本からネットだけ見て「あえて逆バリでトランプ支持者を擁護してやるゼ」とか言ってる俺もしょせん他人事だと思ってるから言えるだけなんだろうけどさ。
もし自分が日本人ではなくアメリカの田舎の白人に生まれてたら俺みたいな奴は絶対トランプ支持者に「ならざるをえない」と思うんだよ。
だから単純にトランプ支持者を「アホだから」「レイシストで白人至上主義者だから」と決めつけられると、絶対そんな単純な問題じゃねーだろ?っていう反発があるわけ。
でもこのミュージシャンの言いぐさはそういうレベルにすら達しておらず論外中の最底辺、かつ、それにもかかわらず日本のサブカル界隈においては圧倒的な支持を受ける言説なんだろうなって考えるとムカついてムカついてしゃーない。



そういう事なんだよ。
ところがガラパゴス日本だけは逆に、ミュージシャンやあらゆる芸術家・表現者は、いっさいの社会的・政治的問題に無関心を装い超然としているのがクールでイケてると勘違いしてる奴らが圧倒的多数派なの。
そんなの本当は不可能なんだがな。
で、これ言うと必ず「お前は日本のミュージシャンも世界を見習ってもっと社会派になって政治的発言をするべきだと言いたいのか」と決めつけられるのがアホらしい。
いや日本のミュージシャンとかが政治的発言とかできないのは幼稚すぎて恥ずかしいうえに逆に「政治的発言のほうがレベルが低くて何気ない日常を歌う方が大人として正しい」とか勘違いしてるのはクソすぎるとはいえ
逆に海外みたいにたかだかミュージシャンごときがエラソーに政治的発言して社会的影響力を行使できると思い上がってるのもそれはそれでおこがましいと思うのだが。
ただ、それはそれとして、そういう(世界的にはむしろミュージシャンは政治的立場をちゃんと表明するほうがイケてて、政治的なのはダサいとか言ってる日本がガラパゴスなだけだという)事実を事実と認識したうえで「でも自分はそうじゃない」と主張するならわかるけど
まず現実を無視して自分らのほうが世界よりイケてると思い上がってる態度なのがまたどうにもおこがましくてムカつくんだよほんとに。



「自分にとって深刻な問題」ではなく「社会全体にとって深刻な問題」なんだがな?
社会全体にとって深刻な問題を「自分にとっては深刻じゃない」と思ってる奴がいるならそいつのほうこそ自己チューなのだが


ただこのへんのやりとりも町山氏もまたなんで「いや、間違った事を言ってる奴を糾弾して何が悪い?」と強気に出れなかったものか?
まぁ実際あのへんどう見ても「こいつはけしからん!糾弾してやる!」ってノリじゃなく「こんなんありましたけど」くらいの軽いノリでTLに流してみただけにしか見えなくて、
それが激しく「糾弾」してるように見えるならその人の中に何か図星突かれてイタい事情でもあったんじゃないかと疑いたくなる



「どこまでいっても個人の思想や信条は自由ですよね」と言うんだったら、人を間違ってると思うのも自分は正しいと思うのも自由ですよね?
自分で言ってて矛盾に気づかないのだろうか?
しかも



しかも、これは見たまんまの「事実」であり、「自分が正しい」とか正しくないとかの問題じゃないのだが?

俺が町山氏のこういう所に反発するのは、「白人至上主義者」とか「ネオナチ」とか決めつけるだけで終わってしまい、じゃあなぜ彼らがそういうものになってしまった(ならざるをえない)のかまでは絶対に考えようとしないのがムカつくんだよ。町山氏に限らずリベサヨみんな。
それは「弱肉強食のアメリカ社会ではリベラルになれるのはエリートだけだから」だと思うし、だからエリートになれない俺としてはエリートになれなかった負け組を「ネオナチ」とか決めつけて見下すリベラルエリートがムカついてムカついてたまらんのだけど
それはあくまで「トランプの現場に行くとネオナチとかがいる」という見たまんまの「事実」を町山氏と共有したうえで、その「事実」をどう解釈するかで俺は町山氏とは「意見が違う」わけ。
それをこの手の自意識過剰な日本サブカルの申し子たちはまず見たまんまの「事実」を「町山氏の個人的な意見にすぎない」と切り捨ててかかるから話になんないわけ。
いわゆる「セカイ系」なんだよ最近の日本人の大半が。
まず先に「世界」があって、その世界の中に自分も他者もみんなが生きてるわけでしょ。
セカイ系の発想だとそうではなく、まず「自分」がいて、自分が認識している範囲だけが「世界」なんだよ。
だから、誰かが見たまんまの事実を話してても、それはその人の頭の中で起きている事にすぎず、自分が認識している世界とは隔絶してるから、そんなものは「ない」と決めてかかるわけ。
「あると思えばある。ないと思えばない。」という世界観なんだよ。
本当は、お前が「ある」と思ってようと「ない」と思ってようと、あるものはあるしないものはないのだが。
同じ世界の中に自分も他者も生きているのではなく、自分と他者は違う世界に、1人1人がそれぞれそいつだけの世界に生きてるもんだと思ってる。
要するに大人になっても一生3歳くらいの幼児の世界観のままの奴らばかりなの日本人て。
だから日本人相手には全く議論なんて成り立たないもんだと覚悟してたほうがいい。




だからさあ2人ともさあ、「僕が」そう「思ってる」んじゃなくて、誰がどう「思って」ようと「そういう事実がある」わけでしょ。
客観的な事実がそこにあるのに「僕はそうは思わない」とか言ってる奴がいたらそいつが間違ってるだけなんだよ。
事実は事実として、そのうえで俺なんかは「トランプ支持者にとってはたとえ民主主義を破壊してでも守りたいものがあったという事じゃないのか」と考えたいんだが。
そしてさらにそのうえで、トランプ支持者が守りたいものが俺にとっても守りたいものかどうかは話が別なんだが。



>「そう思わない人の意見を変えさせようとしたり間違っているというのは違いますよね」


つまりこう言ってる本人自身も「そう思わない人の意見を変えさせようとしたり間違っている」という考えは「間違っている」から「変えさせようとしてる」わけなんだが、自分で自分の言ってる事のパラドックス?だかなんだかに気づかないもんかねえ?




ほんとこれ。
渋谷さんとかいう人も表現者のようだが、他者や社会に何かを伝えよう、わかってもらおう、変化のきっかけを与えよう、みたいな野心が無いなら何のために表現活動してんだかわかんねえんだが。
日本のサブカル界隈には、「他者や社会にいっさい何の影響も与えないようなのがイケてるしクール」とかいう絶対的な掟があるらしいのだが、そんな表現に何か価値とかあるのかね?

とか言ってると俺がまるで「表現者ならば他者の価値観を変えるようじゃなきゃダメだ!」と主張してるもんだと決めつけられそうだけど、繰り返しますがそれはそれでたかだか○○ごときがおこがましいとも思ったりもしますが。
それはそれとして、


やっぱこういう言いぐさはそれよりもっと気持ち悪いです。
「政治的な議論は僕にとっては意味がない」←本当にそう思ってんなら何も言わなきゃいい。
「正義の欺瞞とは相性が悪い」←それが貴方の「正義」ですよね?

いや、正義の何が悪いのかがわからん(悪ならいいのかよ)うえに、正義がどうとかの話は誰もしてなくて見たまんまの事実を言ってるだけなんだが、
それがことさら「正義」を叫んでいるように見えるのは、それが貴方の中の別の「正義」を刺激しちゃったからですよね?